お知らせ

OASIS ORIGIN 第2章|忘れていた“2つのプール記憶”が動き出した日

プール屋”との出会いが、人生の舵を大きく変えた

時が流れ、気が付くと田村大は、日本のエクステリア業界で誰もが知る存在になっていた。
毎年のように作品をつくり続け、評価され、また次の依頼が舞い込む。
その積み重ねの先に、LIXILコンテスト4年連続金賞という前例のない快挙が待っていた。
その知らせを受けたとき、胸の奥に静かな達成感が広がった。
「ここまで来たか」そんな実感があった。

LIXIL施工コンクール金賞を受賞した和モダン門まわりと植栽のエントランスデザイン
LIXIL施工コンクール金賞を受賞した、和モダン建築と植栽が調和するエントランスデザイン。

実績は全国に広まり、講演依頼は次々と届き、各地のセミナーでマイクを握る日々が続いた。
会場に集まる人々の熱量、講演後に寄せられる感想、「田村さんの話を聞いて勇気が出ました」という声。
それらは確かに嬉しく、造園家としてのキャリアは順調そのものだった。
誰が見ても「成功している」と言える状態。
自分でも、そう思っていた。
しかし──
その“成功”の先に、人生の舵を大きく切り替える出会いが待っていることを、
このときの田村はまだ知らなかった。
静かに、しかし確実に、新しい道が近づいてきていた。

『初めまして、プール屋です』──その一言がすべてを変えた

ある日のセミナー終了後、参加者のひとりがゆっくりとこちらへ歩いてきた。
講演を終えた直後の、あの独特の余韻がまだ会場に残っている時間帯だった。
名刺交換の列が途切れ、そろそろ片付けに入ろうかと思っていたそのとき、その男性は少し緊張した面持ちで名刺を差し出した。
「初めまして。プール屋です」
その一言は、他のどんな肩書きよりも強烈だった。
名刺を受け取った瞬間、胸の奥にしまい込んでいた“ある記憶”が、まるで封印を破るように一気によみがえった。
名刺の紙の感触、印刷された「プール」という文字。
それらが引き金となって、小学生の夏休みの光景が鮮明に蘇り始めた。

小学生の夏、叶わなかった“プール”の約束

小学校3年生の夏休み。
当時の田村少年は、周囲の大人たちから可愛がられる存在だった。
「将来はお父さんの後を継いで、日本一の造園屋になるんだ」
そう胸を張って話すと、大人たちは嬉しそうに笑い、「いいねぇ、頑張れよ」と頭を撫でてくれた。
そのたびに小さなお小遣いをもらえるのも、子ども心には誇らしかった。
そんなある日、ふとした思いつきのように、少年は父に言った。
「うちにもプールがあったらいいのに」
造園親方だった父は、冗談半分に笑いながら答えた。
「そんなもん簡単に作れるぞ!」
その言葉を、田村少年は一切疑わなかった。父が言うなら本当にできるのだと思った。胸が高鳴り、いてもたってもいられず、近所の友達に次々と話して回った。
「うち、プールできるんだ!すごいだろ!」


友達は目を輝かせ、羨ましがり、少年はますます誇らしい気持ちになった。
しかし──
夏が終わっても、秋になっても、庭にプールができる気配はなかった。次第に友達からはこう言われるようになった。
「いつできるの?」「本当に作るの?」

A gentle, storybook
嘘つきになった田村少年


その言葉が刺さるたびに、胸がぎゅっと痛んだ。気づけば、田村少年は“嘘つき”になっていた。悔しくて、恥ずかしくて、どうしようもない気持ちが胸の奥に沈殿していった。
その小さな棘のような記憶は、大人になっても消えることはなかった。
そして──
あの日、セミナー会場で受け取った一枚の名刺。
「初めまして。プール屋です」
その言葉とともに手渡された名刺を見た瞬間、胸の奥に封じ込めていた記憶が、まるで堰を切ったように一気に蘇った。紙の感触、印刷された「プール」という文字。それらが引き金となり、少年時代の悔しさ、憧れ、そして叶わなかった夢が、鮮明な映像となって心の中に広がっていった。
忘れていたはずの“プールの記憶”が、静かに、しかし確実に動き出した瞬間だった。

ラスベガスのタクシードライバーの言葉が重なる

ラスベガス郊外の住宅街に並ぶプール付きの家々を上空から撮影した風景
プールが生活に根付くラスベガス郊外の住宅街を上空から捉えた一枚。

さらに、学生時代のアメリカ旅で聞いた、あの何気ない一言も重なった。
「この辺の庭師は、プールの仕事がメインだよ」
ラスベガスへ向かうタクシーの中で、陽気なドライバーが窓の外を指差しながらそう言った。
車窓には、乾いた砂漠の中に広がる住宅街が続き、どの家にも当たり前のようにプールがあった。
青い水面が太陽の光を跳ね返し、砂漠の乾いた空気の中で、そこだけが“生命の気配”を放っていた。
日本では特別な存在であるプールが、アメリカでは生活の一部として根付いている。
その文化の違いに、当時の田村青年は強い衝撃を受けた。
「水辺は、暮らしを変える力を持っている」
その感覚は、旅が終わっても心のどこかに残り続けていた。
そして今──
セミナー会場で受け取った「プール屋」という名刺。その文字を見た瞬間、小学生の夏の悔しさと、アメリカで感じたあの衝撃が、まるで遠く離れた点と点が結ばれるように、一本の線でつながった。
胸の奥で、何かが静かに動き始めた。長い間眠っていた“プールの記憶”が、再び息を吹き返した瞬間だった。

小雨の幕張で、人生の舵が切り替わる

名刺をもらった数日のうちに、田村はもう心を決めていた。
「プール屋」と名乗ったあの男性の言葉が、胸の奥で静かに燃え続けていたからだ。
気になって仕方がない──
というより、呼ばれているような感覚に近かった。
そして田村は、迷うことなく“プール屋”のショールームへ向かうことを決めた。
11月半ば、小雨の降る夕方。幕張の街は薄暗く、濡れたアスファルトが街灯の光をぼんやりと反射していた。
ショールームの前に立った瞬間、胸の奥で何かがはっきりと動いた。
扉を開けると、そこには見たことのない世界が広がっていた。静かな水面、照明に照らされたプールの縁、水が持つ“特別な存在感”が空間全体を支配していた。
その光景を見た瞬間、少年時代の悔しさ、アメリカで見たプール文化の衝撃、そして名刺を受け取った日の胸のざわめきが、すべて一本の線でつながった。気が付けば、田村は口を開いていた。
「このプールを、私に売らせてくれませんか」
それは準備された言葉ではなかった。心の奥から自然に湧き上がった、抑えきれない衝動だった。
その一言が、造園・エクステリアという枠を超え、“プールのある庭づくり”という新しい道へと大きく舵を切るきっかけになった。
これが、プールカンパニーとの出会いである。
そしてこの出会いが、後にOASIS–OARAIという物語を動かす原動力となっていく。

そして、物語は次のステージへ

この出会いを境に、田村大の仕事は大きく変わっていく。
それまで積み重ねてきた造園家としての経験、学生時代にアメリカで触れた“水辺の文化”の衝撃、小学生の夏に抱えた悔しさと憧れ、そして、あの日の「プール屋」との名刺交換。
それらは長い間、別々の記憶として胸の奥に眠っていた。
しかし、この瞬間を境に、それぞれが一本の線となってつながり始めた。
まるで、これまでの人生のすべてが“この道へ進むための伏線だった”と告げられているようだった。
造園・エクステリアという枠を超え、“プールのある庭づくり”という新しい世界が静かに開けていく。
その扉の向こうには、まだ誰も見たことのない景色が広がっていた。
こうして、田村大の物語は次のステージへと進んでいく。
OASIS–OARAIへとつながる道は、ここから本格的に動き出す。
つづきを読む・・・プールが導いた、グランピングへの道|第3章

▼第1章|砂漠で見つけた“オアシス”という概念『OASIS–OARAI』が生まれる前の物語
▼OASISーOARAIのプールの詳細についてはこちら
▼プールをつくる会社『ドリームガーデン』の詳細はこちら
▼気になる第1章はこちら

宿泊予約はこちら
Translate »