思いがけない一本の電話
プールをつくると決めてからの行動は早かった。
展示場に実物のプールをつくり、ホームページで紹介した。
最初の1件目こそ半年かかったが、焦りはなかった。
プールでナンバーワンになると決めていたので、毎日が楽しくて仕方がなかった。
そんなある日、栃木県のゴルフ場の社長から連絡が入った。
「ドリームガーデンを見学したい」とのことだった。
話を聞くと、プールのあるホテルをつくりたいという。
現地へ向かうと、そこはサラブレッドの調教牧場に囲まれた広大な丘だった。
オーナーから与えられたテーマは、この地に“プールのあるホテル”をつくること。
最初は「プールだけつくればいいのかな」と軽く考えていた。
しかし話が進むにつれ、ホテルとは建物ではなく、テントで泊まる“グランピング” を指していることが分かった。
当時、栃木県にはグランピングの事例はなく、施工できる会社もなかった。
だからこそ、ドリームガーデンの実績を見て、声をかけてくれたのだろう。
グランピングという新しい挑戦
まずはゴルフ場(紫塚ゴルフ倶楽部)内に、KAKUREGA という1棟のグランピングをつくった。

これがうまくいき、次に依頼されたのは、まだ誰も見たことのない“大型グランピング”だった。
図面を何枚描いたか覚えていない。
許認可、保健所、建築物なのかテントなのかという定義の問題。議論は山のようにあり、一つひとつ潰していった。
そしてプロジェクトは動き出した。

まず、16m×9mという、これまでで最も大きなプールリゾートをつくった。
プールサイドを含めると、さらに広がりのある空間になる。
続いて、クヌギ林の中に10棟のグランピングサイトを配置した。各テントには、ホテルのようなシャワーとトイレを備えた。こうして 芳賀ファーム&グランピング が完成した。
完成直後、北茨城市でトレーラーハウス宿泊業を営む方からも依頼があった。
そこでは2棟のグランピングサイトをつくり、茨城グランピングヴィレッジ が生まれた。
高校時代の阿字ヶ浦の記憶 そして、決断
そんな折、茨城県・阿字ヶ浦海岸で、土地の調達から設計施工までを任される話が舞い込んだ。
海前の土地も見つかり、県との協議も順調に進んでいた。
しかし突然、企業側からキャンセルの連絡が入った。
土地の賃貸交渉を進めてくれた方は、肩を落とし、暗い表情だった。
その方と水戸市内の焼肉店で、うつむきながらビールを飲んでいるうちに、気づけば自分の口から出ていた。
「俺がやります」
その理由は、芳賀ファームをつくっていた頃に遡る。
ジョイフル本田に寄った帰り、久しぶりに阿字ヶ浦海岸へ足を伸ばした。
高校時代によく遊んだ活気ある海岸は、3.11の影響もあり、静まり返っていた。
キャンプをした場所も、どこか寂しい雰囲気になっていた。
その時、同行していた社員に言った。
「俺って地元を元気づけるもの、つくってないよな。阿字ヶ浦でグランピングでもやるか」
その言葉を思い出したのだ。
時間がない!奇跡の1.5カ月
時は12月30日。動き出すと話は早かった。
銀行に相談し、資金調達を行い、翌2月には運営会社 FINEGLAMPING株式会社 を設立した。
許認可が下り、着工は3月初旬。オープンは4月29日と決めた。
ドリームガーデンの最高のチームで、わずか1.5カ月で完成させた。
激務だったが、全員、生きていた。
FINEGLAMPINGにも人が集まり、4月29日のオープンにすべてが間に合った。
奇跡のような日々だった。

『East Coast FINE GLAMPING 茨城ひたちなか』
ここが、OASIS–OARAIの始まりである。
つづきを読む・・・過去のすべての出来事や出会いはOASISーOARAIにつながっていた|第4章
▼田村が作った芳賀ファーム&グランピングの詳細はこちら
▼プールをつくる会社『ドリームガーデン』の詳細はこちら
▼第1章|砂漠で見つけた“オアシス”という概念『OASIS–OARAI』が生まれる前の物語
▼第2章|忘れていた“2つのプール記憶”が動き出した日
